この世界がまるで我が家のように

人は、どんなときに涙を流すのだろうか。

苦しいとき
悲しいとき
悔しいとき
辛いとき
感動したとき
感情をうまく表現できないとき
楽しくて面白くてしかたがないとき

いろいろある。

僕は、もう一つあるんじゃないかと思っている。

それは・・・

真実にふれたとき。

 

 

「僕は、今生で何をやっていきたいのか」

この大きなテーマに、ここ二年真剣に向き合い探求してきた。
いや、生まれてきてからずっとかもしれない。

これが、僕が今生でやっていきたいこと。魂のミッション。

『この世界がまるで我が家のように思える世の中にしていく』

僕の内側から溢れてくる愛を、愛のエネルギーをどんどん与えて、そして受け入れて。
そうやって愛を循環させて・・・。

そうしながら、「この世界がまるで我が家のような世の中」にしていく。
それを望む人がいれば、一人でも多くの人と関わっていきたい。

この魂のミッションを見つけることができたのは、遅かったのか、早かったのかわからない。
でも、人生の中でも完全な時期・タイミングのように思う。

この魂のミッションにたどり着いたときは、ただ涙が止まらなかった。

我が家がなかった子供時代

正確に言うと、ゆったりとくつろげる我が家、ここにいていいんだと思える我が家がなかった。

父、母、兄、そして僕という家族構成。

兄は、小さなときに脳に障害があることがわかった。
トゥレット症候群という病。
未だに治療法は見出されていない。

この病は、一言ではなかなか言い表されないけれど、わかりやすく言うならば「感情」をコントロールできない特徴がある。

悲しい・辛い・悔しい・・・そのほとんどの感情を、「怒り」で表現する。

その不思議な症状を家族みな受け入れることができず、兄はそれに苦しい思いをしていた。
毎日が家庭内暴力。
物心ついたときから、そんな家庭で育ってきた。

両親は、我が子がそういう病だということを受け入れることができず、またどう向き合ったり、対応していいかわからずにいた。

母は、ある新興宗教に入った。
「お辛いですね」「苦しいですよね」
ただ、そう言ってもらえる人が必要だったのだろう。

父もその「辛い」「苦しい」人の対象だったので、心の隙間を支え合う夫婦にはなれなかったようだ。

僕も小さいときから母に連れられて、その宗教の「集会」に行っていた。
しかし、その雰囲気に馴染めず泣きながら抵抗していた。
母も根負けして10歳の頃を最後に、「集会」に連れて行かなくなった。
僕もそれ以降、その宗教にふれることはなくなった。

兄は小学生の高学年になり中学に上がる頃には体格も良くなる。
しかし、病の症状は軽くなるどころか成長に従い大きくなっていった。

家庭内暴力も激しいものになっていく。
父は兄を羽交締めで止めるのがやっと。
父がいるときは、なんとか止める人がいたけれど、いないときは母と僕は蹴られ、なぐれ。
どんな事情があったのかわからないけれど、母は逃げるように昼間はパートに働きに出た。
そうなると、家にいるのは兄と僕だけ。
誰も守ってくれる人はいない。

家の中では兄の感情にふれないよう、ただただ存在を消して・・・

10歳の頃、息をすることでしか生きていることを示せず、体操座りになり、これでもかというくらい身を小さくしながらため息のような呼吸をただ繰り返していたことを覚えている。

一生懸命息を吸った。一生懸命息を吐いた。

何度死のうと思ったことだろう。
何度家族を殺そうと思ったことだろう。

このまま苦しいことをして、生きている意味はない。
いっそのこと、死んだほうが楽になれる。

10歳の子供が、そんなことばかり考えていた。

この世界に、僕の居場所はなかった。

でも、そんな僕にでも一つの灯火があった。
幼馴染の親友だ。
その親友の家は「もつ鍋屋」を営んでいた。
遊んだあと、「メシ食っていきーや」とよく言ってくれた。
オヤジさんも、「いつでもご飯食べにきーね。あったかいご飯つくるから」
その言葉を聞いたとき、気付いたら大泣きしていた。
「ありがとうございます」も言えず、ただ号泣していた。

どれだけうれしかったか・・・

母がパートに行くようになってからはいつも、学校から帰ると机の上に「何か買って食べてください」のメモ書きとともに500円が置かれていた。

夕食は、コンビニでカップラーメンを買って食べることがほとんどだった。

そんな僕に、「いつでもご飯食べにきーね」「あったかいご飯つくるから」の一言が、どれだけの言葉だったか・・・
どれだけのもつ鍋を食べたか(笑)

親友やオヤジさん、その他の友人たちには本当に、本当に恵まれた。
そのおかげでいつしか、死にたいという欲求はなくなっていった。

家族の存在

父も母もいろいろと大変だったと思う。
しかし、ここでは兄についてふれようと思う。

先ほどから兄が、何だか悪いことのように書いているように見えるが、決してそんなことはない。
父や母、僕が苦しんできたことは間違いない。

しかし、この家族の中で一番苦しんできたのは絶対に兄なのだ。

いくら薬を飲んでも、病の症状が治まらない辛さ。
本当に思っていることを、相手に伝えることができない歯がゆさ。
一番わかってほしい家族に、わかってもらえない孤独さ。
普通に世の中を生きていくことができないかもしれないという恐ろしいほどの不安。
この病は一生治らないかもしれないという恐怖。

僕は、ここ最近まで「兄に苦労させられている」という考えを持っていた。
でも今ははっきり言える。

「僕が兄を苦労させていた」

兄は何を望んでいたのか。
おそらく、ただ「わかってほしかった」だけなんだと思う。

なのにいつも「兄が辛いのはわかるけど、俺はもっと辛いんだよ」と腹の底で思っていた。
自分の方が辛いと思っているから、兄の話もまともに聞いてあげられることもなかった。

その怒りの感情の奥には

7月にこんなことがあった。
「わかってほしかった」兄の声に、はじめて僕が「わかってあげられた」瞬間かもしれない。

兄は実家の近くで一人暮らしをしている。

孤独なんだろう。ほぼ毎日電話がかかってくる。多いときは一日に5〜6回。

兄からの電話のほとんどが誰かや僕に対する文句や暴言。これまでは、我慢して一通り聞いて「じゃ、忙しかけん切るね」といって受け取りきれなかった。

7月のある日のこと。

いつも通り兄が電話をかけてきて、僕にものすごい勢いで暴言を吐いてきた。
ひとしきり話を聞いた後に、自然に僕から出た言葉はこんなものだった。

僕「どうしたと?・・・」

兄「どうしたとじゃないったい!俺の話、聞きよるとや貴様!なめんな、●射●ち●殺●しに行くぞ!!」

僕「うん、聞いとる・・・つらいんよね・・・苦しんよね・・・それをただわかってほしいんよね」

兄「・・・(すすり泣きが聞こえる)・・・すまん、こんな兄貴ですまん。本当はお前にこんなこと思ってもないし、言いたくもない。暴言を吐いてしまう病気が嫌で嫌で仕方がない・・・。わかってくれるのは竜也だけや。」

僕「うん、知っとるよ。本当は僕のことが大好きやけん毎日電話してくるのも知っとるよ」

 

そのあと、二人でたくさん笑いながら泣いた。
僕の中では、はじめて兄を全開で受け入れた瞬間だったように思う。

真実にふれたとき、涙が流れる。

傾聴しないといけないからだとか、寄り添わないといけないからだとか、そういうことではなく、”兄のの怒り”と”兄の心の声”が一致していない感覚があった。

だから自然に、
「どうしたと?・・・」
という言葉が出てきた。

今では電話の数も極端に減り、その時からまだ一度も僕に怒ったり暴言を吐いたことがない。

兄と関わるすべての人が、怒りの奥にある本当のメッセージを汲んでコミュニケーションをとることができれば、兄の病は治るのではないか。そんなことが頭をよぎった。

魂のミッションは、苦しいこと嫌なことの中にある

このように、子供の頃から本当に我が家と思えるような場所がなかった。
自分らしくのびのびといられる場所がなかった。
これは大人になって独立してからもずっと続いた。

小さい子供にとって、我が家(もしくは家族)は世界そのもの。
そのまさに生きている世界が「自分らしくいられない場所」だと思っていたから、大人になってもその感覚は続いた。

30歳を過ぎたあたりから、生き辛さを感じるようになってきた。
いつも自分らしくいられないから、いろんな仮面をかぶっている。
すると、自分が何者なのか分からなくなってくる。
仕事をしていても、何をやってもエネルギーを使っている感覚はなく、そんな面白くない自分の人生にイライラしていた。

その時ずっと抱えていた感覚。
それは、大きな翼を広げることができず、歩きながらズルズルと引きずっている感覚。

36歳のとき、立花岳志さんのブログ岡部明美さんを知る。心理カウンセラー・セラピストだ。

そんな僕にも閃いたものがあった。

「岡部さんに会いにいこう」

個人セッションのときに初めてお会いする。
わずか数時間の個人セッションの間で、ずいぶんと生き辛さが軽くなった。
しかし、それがなぜそうなったか説明ができない。
岡部さんのセッションの中で、自分の中に4歳のときの自分が生きていた。後に、それがインナーチャイルドだということがわかるのだが、その時はまったくわからなかった。

その時に起きたこと、なぜ生き辛さがここまで軽くなったかということに強い興味を持つようになった。
その後ワークショップにも参加。
LPL養成講座にも参加するようになり、本格的に心の探求が始まる。

LPL養成講座では、岡部さんのワークやレクチャーを受けながら、自分自身と向き合いひたすらに心のクリーニングとクリアリングをやっていく。
過去を癒して、過去は過去に置いてくる。
「今ここ、この瞬間」を自分らしく生きられるようにしていく作業をひたすらにやっていく。
これを約二年やってきた。

その先に見えてくるものは、自分のワンダーチャイルドは本当は何がやりたいのか。
真実の自分は何者なのか。
魂のミッションは何なのか。

これまでの僕の場合は、
「この世界がまるで他人の世界のようで生き辛い」ものだった。

今ならば、なぜそんな苦しい経験をしてきたのか明確に説明できる。

それは、「この世界がまるで我が家のように感じるため」だから。

仕事をしているときも、何をしていても、誰といたとしても、ありのままの自分でいられる。

あるがままで大丈夫だという感覚。OKness。

そんな人たちがたくさんいる世界って、どんなに豊かなんだろう。

魂のミッションは、苦しいこと嫌なことの中にある。

天命を探求する方法を広めていらっしゃる出口光さんの言葉をお借りするならば、こういうことだ。

『嘆きの中に天命がある。それに関心を抱くことが魂の思いやりだ。』

ずっと苦しい思いをしている。それには理由があるということ。

それと、平原綾香さんの有名な曲「Jupiter」。その歌詩の一部も紹介したい。
作詞は吉元由美さん。

『愛を学ぶために孤独があるなら 意味のないことなど起こりはしない』

僕が魂のミッションを見つけるために、人生デザインの中で兄は障害をもって兄弟というかたちで僕と出会ってくれていたのかもしれない。

そして、兄は兄で魂のミッションがあることを僕は信じている。

これから僕がやっていくこと

では、僕の魂のミッション『この世界がまるで我が家のように思える世の中にしていく』というのをどのようにして実現させていくのか。

それは、心理カウンセラー&セラピストとして実現していく。

生き辛さを感じ、人生に苦しみしか感じない方。
人間関係が思うようにいかない方。
次のステップ(ステージ)に行きたいが勇気が出ない方。
人生に疲れ、諦めそうになっている方。
障害者がご家族にいらっしゃり悩んだり苦しんだりしている方。
自分らしく生きたい方。

これだけに限らないけど、そんな方々に寄り添っていきたい。

今は便利な時代なので、インターネットとパソコンもしくはスマホがあれば簡単につながることができる。
それを利用して、オンラインでもカウンセリングができるようにしていきたい。
少しでも多くの方々のお話を伺っていきたい。

カウンセリングは基本的に対面で向かい合い、クライアントさんの言語だけでなく非言語の部分も観察し感じながらおこなう。

その壁を少しでも打破しようと、オンラインでもたくさん実験してきた。
モニターさんにたくさん協力していただいたり、自主トレ(カウンセラー同士のトレーニング)でもやってきた。

福岡という地方にいるけれども、インターネットの力を利用して取り組んでいく。

もちろん、対面セッションもおこなっていく。
しかし、部屋がまだ確保できていない。

福岡市内で部屋を時間貸ししてただける方、またご存知の方がいらっしゃったら是非情報をお寄せいただきたい。

さいごに

人は何度も真実にふれ、たくさんの涙を流せばいい。
男性は、涙を流せば流すほど愛や優しさを取り戻す。
女性は、涙を流せば流すほど強い意志を取り戻す。

真実の中に、本当の自分がいた。自分のやりたいことがあった。自分の言葉があった。

さいごにこれだけ言わせてほしい。
10歳の頃の僕へ。
「たっちゃん・・・生きていてくれて、ありがとう・・・」

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ABOUTこの記事をかいた人

山形 竜也

・心理カウンセラー・セラピスト
・英国ThinkBuzan社公認マインドマップインストラクター
・日本メンター協会オフィシャルパートナー

1979年4月19日生まれ。福岡県福岡市出身。太宰府市在住。身長184cm、牡羊座、A型、右利き。